こんにちは。
命の開放コーチHARUです。
前回は、【行動編】をお送りしましたが、今日は【人間関係編】という内容をお伝えしたいと思います!
二人羽織からの卒業⁉︎
いきなりですが、みなさん二人羽織ってご存知ですか?
後ろに隠れている人の手で、前の人に手探りでお蕎麦を食べさせる、宴会芸です。
これは芸なのでいいのですが、普通に考えたら、とても面倒なことをしていますよね。
前の人の口がどこなのか、後ろの人には見えないので、この辺かな?と手探りでお蕎麦を近づけます。
でも、思うように食べることができない。
食べさせる方も、食べる方も、思うようにはいかない割に、とても疲れるはずです。
もしこれが日常だとしたら?
と考えてみてください。
無駄としか言いようがありません。
でも、実は目醒めると、わかるんです。
目醒めとは程遠い時の昔の自分は、二人羽織してたなと。
ではまず、目醒めていない時、どういう状態なのかをみていきましょう。
このブログでは毎回のように登場するこちらです↓
人は、育てられる中で、親や身の回りの人、学校、世間などから、いろいろな「考え方」や「正しさ」などを刷り込まれます。
周りの人の発言や態度により、ブロックと呼ばれる間違った思い込みができたり
衝撃的な思いをすることによって、トラウマと呼ばれる思い込みができることもあります。
そして実はそれ以前に、遺伝子レベルで、恐れや罪悪感をもち、我慢や犠牲の精神で自分を抑えてしまう性質も、私たち人間には備わっています。
自分の気持ちや考えだと思っていても、誰しも知らず知らずのうちにこういった何かに囚われているものなのです。
そして、目醒めるということは、こういった様々な無意識の「囚われ」を手放し、魂の自分そのままで生きるということ。
自我(エゴ)で生きる人生から、真我(魂)で生きる人生へと進化するということです。
ということは、人間関係でも、こういうたくさんの囚われを基準にして
「人にはこう接するべき」
「これが、愛ある接し方だ」etc.
が、たくさんあるということです。
例えば、小さい頃に誰かに何かを言われ、とても傷ついた経験がある場合、その時に完全に癒すことができればいいのですが、多くの場合、癒しきれていません。
本当は、その時点ですぐに、傷ついた気持ちを思い切り表現し、出しきれたなら、それだけで人は癒され、スッキリするのです。
そうなれば、相手にわだかまりも残らず、不必要な思い込みもできず、その件は完全に終了となります。
しかし残念ながら、癒しきれなかった感情が残ることで、傷つく原因となった「自分が言われた内容」は、「人に言ってはいけない」という思い込みになります。
実は、「自分が言われた内容」が問題なのではなく、気持ちを出しきれずに、完全に癒していないことが問題なのです。
よく考えてみてください。
人が傷つくことを完全に言ってはいけない、やってはいけないとなったら、何も言えないし、誰とも付き合えなくなります。
それでも人間関係は必要なので、真面目な人ほど、自分は我慢して気持ちを押し殺し、人が傷つかないように言葉に気をつけ、人の傷を癒すように、人のために良かれと思って一生懸命尽くすのです。
これが、二人羽織の関係性ができる、仕組みの一例です。
親子や夫婦、仕事関係や友人関係など、様々なパターンが考えられますが、このように、自分はさておき人に尽くすことで、本当にお互いに幸せになっていると思いますか?
実のところ、もしかしたらお互いに、一時の満足感はあるかもしれません。
しかし根本的に考えてみると、残念ながら、幸せでないばかりか、不幸体質を作りあってしまっているのです。
なぜかというと、
二人羽織で言えば前の人(尽くされた側)は、「自分で解決する力」や、「自分が何をしたいのか?どうなりたいのか?を考える力」だけでなく、「自分の人生を切り開いていく力」を育てることができず、
後ろの人(尽くす側)も、自分そっちのけでいつも人のことを考えているので、同じように、「自分が何をしたいのか?どうなりたいのか?」がわからない。
自分の幸せを自分で作っていくのではなく、相手を幸せにすることで、自分が幸せ感を味わいたいという、ある意味依存です。
これでは、お互いが完全に「他人軸」です。
また、人が、自分の感情や、五感を通して「感じること」に鈍感になっていくと、鬱になったり、体の疲れに気づかず、急に倒れる結果になったりします。
これも、他人軸のあり方の代表例です。
これが、幸せだとは、とても言えません。
そこに気づいて、本当の意味での「自分軸」になるのが、目醒めたあり方なのです。
本当の自分軸
さて、自分軸というのは、みなさんだいたい理解していることでしょう。
「自分がどうしたいか、どうありたいのか」を基準に行動することです。
しかしここで、 “本当の”自分軸と表現するのには、大きな理由があります。
もう、みなさんお分かりですよね?
そう、先ほど説明した
人は、育てられる中で、親や身の回りの人、学校、世間などから、いろいろな「考え方」や「正しさ」などを刷り込まれます。
周りの人の発言や態度により、ブロックと呼ばれる間違った思い込みができたり
衝撃的な思いをすることによって、トラウマと呼ばれる思い込みができることもあります。
そして実はそれ以前に、遺伝子レベルで、恐れや罪悪感をもち、我慢や犠牲の精神で自分を抑えてしまう性質も、私たち人間には備わっています。
自分の気持ちや考えだと思っていても、誰しも知らず知らずのうちにこういった何かに囚われているものなのです。
そして、目醒めるということは、こういった様々な無意識の「囚われ」を手放し、魂の自分そのままで生きるということ。
自我(エゴ)で生きる人生から、真我(魂)で生きる人生へと進化するということです。
この囚われから抜け出した上での「自分軸」ということです。
目醒めた人は、この本当の自分軸で人と接するのです。
そうすると、どういう人間関係になるのかというと
・自分の心に従って、付き合いたい人と、付き合いたいように付き合う
・我慢はせず、感情は隠さず、ありのままの自分で、誰とでも対等に付き合う
・要望があれば伝え、結果は素直に受け取る
とてもシンプルです。
もしかしたら、これが自分勝手だと感じる人もいるかもしれませんが、付き合いたい人と、付き合いたいように付き合うというのは、自分の命とも言える大切な時間やエネルギーを、無駄にせず、大切なものに注ぐということです。
「友達」という形に執着し、大切ではない相手と付き合うことや、断るのは悪いからと、無理して付き合うことが、相手に対して愛のある行動だと思いますか?
それは逆に、相手の命とも言える、時間やエネルギーを使わせてしまうことにもなります。
もちろん、自分が時間やエネルギーを注ぎたい相手が、自分に対してそうではないと分かったら、「はい、そうですか」と受け取れば、それでいいのです。
自分の要望を相手に伝えて、それが叶わなかった場合も同じです。
それによって残念な気持ちはあったとしても、自分の価値が下がるわけではありません。
そこに振り回される必要は全くないのです。
人はそもそも愛の存在
また、人はそもそも愛の存在です。
いらないものを脱ぎ捨てて、純粋な自分に戻ると、それは愛そのもの。
もちろん、人間である以上、どれだけ目醒めようが、エゴが完全になくなるわけではありません。
ただ、エゴはエゴだと認識できるので、無意識にエゴを基準にしてしまうことがなくなります。
常に、純粋な自分であろうとすればするほど、囚われのない純粋な愛を自然に発揮できるようになるのです。
ですから、目醒めると、囚われのない純粋な感情を表に出すことで、例えそれが怒りであろうと、結果的に調和してしまうという体験をすることになります。
愛とは、表面的に優しくしたり、一時的にいい気持ちにさせることではなく、純粋な愛の自分で接することで、相手も純粋な愛に導くということだからです。
人を理解したいなら、まず自分
人の気持ちを察したり、理解しよう、と思うのなら、まずは自分が目醒めることが一番近道です。
目醒めるということは、自分の心の中を、囚われのない目で真っ直ぐにそのまま見ることができるということ。
残念ながら、人は自分さえも思い込みのフィルターを通してみていますが、その状態で、人のことがわかるはずがありません。
一人でも多く、本当の自分に目醒め、楽にシンプルに幸せに生きることを、心より願っています。
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最後に
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難しさや、ややこしさをできるだけ取り除き、最大限にシンプルにお伝えしています。
大切なあなたの人生をムダなく最高に豊かなものにしていけますよう、心より願っております。
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